ありのままでも価値があると思えた瞬間

恋愛依存編

頑張らないと愛されないと思っていた

私はずっと、「頑張らなければ愛されない」と思っていた。
母に認められるために、恋人に嫌われないために、
いつも“いい子”でいようと演じるのに必死だった。

怒られないように、嫌われないように。
自分の気持ちよりも相手を優先するのが当たり前だった。

無理して我慢するのはすごく大変で、その時々で感情が抑えられなくなって
情緒不安定になることが多々あった。

でも本当は、ただ「安心したかった」だけ。
そのことに気づくまで、ずっと息苦しかった。

恋愛でも繰り返していたこと

恋愛でも同じことをしていた。
相手に尽くしすぎて、疲れ果てて、
それでも「嫌われたらどうしよう」と手を離せなかった。

不安があっても、寂しくても、
「頑張れば愛される」と信じていた。
努力は報われると信じてやまなかった。

けれど、どれだけ頑張っても、
安心できる恋愛にはならなかった。
いつまでたっても努力が報われる日は来なかった。
それどころか雑に扱われるようになってしまう。

心の中の「満たされない思い」は、誰かでは埋まらなかった。

気づけた瞬間

ある日ふと、思った。
「私は何のために頑張ってるんだろう」と。

ずっと頑張っている“つもり”だったけれど、
何ひとついい方向に進んでいないことに気づいた。

頑張る方向が違ったのだと思った瞬間、
「もう、少し肩の力を抜いてもいいのかもしれない」と思えた。

「頑張らなくてもいい」
「ありのままの私でも、大丈夫」

そう思えたとき、心の奥がふっと軽くなった。

もう無理に頑張らなくていい

母との関係も、恋愛も、母親としての自分も、
もう“完璧”じゃなくていい。

泣いても、立ち止まっても、何もできない日があってもいい。
そのどれもが、ちゃんと“生きている証”なんだと思えるようになった。

「ありのままでも、私は価値がある」
生きているだけで、もう十分なんだと思えた。

少しずつ見えてきたもの

以前の私は、愛されるために頑張っていた。
自分のことが嫌いでも誰かに愛されたら・・・
自分で自分のことを価値のある人間だと認めることが出来るような気がしていた。

でも今は、誰かに認めてもらうためではなく、
「自分を大切にするため」に日々を過ごしている。
誰かに認められなくても自分で自分を認めてあげられるようになった。

穏やかな時間を過ごすこと。
何もせずにだらだら過ごす日があってもいい。
そんな小さなことの中に、
安心と幸せがちゃんとあると気づいた。

同じように頑張りすぎているあなたへ

もしあなたも「もっと頑張らなきゃ」と
自分を追い詰めてしまっているなら、どうか思い出してほしい。

あなたはもう十分頑張ってきた。
何かを成し遂げなくても、誰かに愛されなくても、
あなたの存在には価値がある。

恋愛も、母子関係も、自分自身も、
もう無理に頑張らなくていい。

あなたがここにいるだけで、
それだけで、十分なんです。

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