遠距離で始まった恋
離婚後、初めてできた彼氏は遠距離だった。
月に一度、私から会いに行っていた。
もちろん彼がこちらに来てくれたこともあったが、
交通費を一度も出してくれたことはなかった。
一度「たまには出してほしい」と言ったとき、
彼は冷たく言い放った。
「俺が会いたいって言ってるわけじゃないのに」
今思えばひどい言葉だった。
けれど当時の私は、
「私を選んでくれる人なんて他にいない」と思い込んでいた。
早く実家を出たかった私は、
“子どもと一緒に暮らそう”と言ってくれた彼を信じたかった。
子供には父親がいたほうがいいと思っていた。
彼は付き合ってすぐに結婚を匂わせた。
今考えれば、それも危ういサインだったのかもしれない。
でも当時の私は、冷静に考える余裕なんてなかった。
一緒に暮らし始めて
1年ほど遠距離を続けたあと、私は子どもを連れて彼のもとへ移り住んだ。
けれど暮らし始めてすぐに、彼の本性を知ることになる。
彼はモラハラで、母親に依存し、そして平気で浮気をする人だった。
言葉で私を傷つけ、母親と比べる。
私の料理を「不味い」と言い、自分の母の味付けで作らせる。
そして、何事もなかったように振る舞う。
一緒に住み始めて半年ほど経った頃、
彼の態度が急に冷たくなった。
話しかけても無視され、目も合わせない。
理由を尋ねると、「育児に対する考え方が違う」とだけ言われた。
そして「別れたい」と告げられた。
引っ越しの際に貯金を使い果たしていた私は、
すぐに家を出ることができなかった。
コロナ禍で仕事も思うように見つからず、
彼も「しばらく家にいていい」と言った。
ところがある日、部屋を掃除していた私は、
彼の手帳の間に挟まっていたルーズリーフを見つけた。
それは、他の女性からの手紙だった。
そこには、彼が“友達の家に泊まっていた期間”に、
その女性の家に滞在していたことが書かれていた。
すべての辻褄が、そこで一気につながった。
彼の態度が冷たくなった理由も、無視された日々の意味も。
私は、その瞬間すべてを理解した。
奇妙な同棲生活
彼に新しい彼女ができても、私はすぐに家を出られなかった。
“同棲生活”は、形だけ続いた。
彼女から送られてくるご当地ラーメンを、
私は黙って彼に出していた。
それはもう愛でも生活でもなく、
ただの“儀式”のようだった。
彼は子どもにも厳しく、
テレビもゲームも禁止した。
私がこっそり見せたり遊ばせたりすると、
怒鳴られて、何も言い返せなかった。
ただ、元彼も子供に厳しいだけではなく、時々遊んでくれたりしていた。
それが私を余計に混乱させた。
今思えば、彼の母親も厳しい人だったらしい。
自分が子どもの頃に叶えられなかったことを、
私の子どもたちに投影していたのかもしれない。
彼は私に「母親」を求めていたんだと思う。
だから私が自分の子供を大事にするのを嫌がったのかもしれない。
私はだんだんと、
“悲しい”という感情さえ感じなくなっていった。
ただ心が静かに冷めていくのを、どこか他人事のように見ていた。
限界と別れ
2年ほど一緒に暮らしたけれど、心も体も限界だった。
子どもたちにまで影響が出ていると気づき、
私はようやく別れを決意した。
なぜ我慢しているのか、もう分からなかった。
子どもをまた転校させるのが可哀想で、
実家には戻らず、その土地に残ることにした。
周りの人たちは親切で、少しずつ穏やかな生活を取り戻した。
母から離れて暮らすことにも、どこか解放感があった。
けれど、頼れる人がいない中での子育ては現実的に厳しく、
やがてまた母のもとに戻らざるを得なかった。
再び実家へ
母との生活は窮屈だったが、
一人で子どもを育て続けるには私の力が足りなかった。
そして、再び実家へ戻ることを決めた。
しばらくして元彼から「もう一度会いたい」と連絡が来たが、
私はもう、二度と同じ過ちを繰り返さなかった。
同じように悩んでいるあなたへ
もしあなたも「ダメだと分かっていても離れられない恋」に苦しんでいるなら、
どうか自分を責めないでください。
依存してしまうのは、弱いからではなく、
**“安心や愛情を強く求めていた証拠”**です。
どんなに間違った選択をしても、
そこから学び直すことはできます。
あなたは「ダメな恋」ではなく、
“安心できる愛”を選ぶ権利があるんです。


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