母との関係の中で、私が初めて「嫌だ」と感じた瞬間がある。
それは、愛情を求めていた気持ちが静かに崩れた日だった。
この記事では、その頃の出来事と、今だから気づけたことを書いていきます。
母の2度目の離婚と転々とする生活
小学校6年生の時、母は2度目の離婚をした。
私は母に引き取られ、そこから男の人の家を転々とする生活が始まった。
知らない部屋に荷物を運び込むたびに、胸の奥がざわざわした。
よく知らない男の人と暮らす不安。
「ここでも大丈夫かな」「またすぐ出ていくのかな」
安心できる家という感覚は、その頃の私にはなかった。
それでも私は母についていくしかなかった。
離婚後最初に暮らした家
離婚後、最初に一緒に住んだ男は会社の社長で既婚者だった。
多分別居していて、妻も外で何をしていても気にしないスタンスの家庭だったのだろうと思う。
男の娘とも一緒に出掛けたこともあったし、そうでないとつじつまが合わない。
別に悪い人ではなかったが、いつからか母があまり家に帰ってこなくなり、
次第に苛々している様子が見受けられた。
そうこうしているうちに家を出ることになったが、別れの原因ははっきりとは知らない。
暴力が日常にあった家
2番目に暮らした男は母に暴力を振るった。
私は殴られることはなかったが、母はよく体に大きなアザを作っていた。
怒鳴り声が響くたびに、鼓動が早くなり、息をひそめる。
ある日、母に「殺されるから警察署に行ってきて」と言われた。
泣きながら警察署に駆け込み、おまわりさんと一緒に家に戻ったこともある。
子どもなのに「母を守らなきゃ」と思い込んでいた自分を、今でも忘れられない。
唯一の支えは飼い猫
そんな不安定な日々の中で、私を支えていたのは飼っていた猫だった。
柔らかい毛並みに顔をうずめると、胸のざわざわが少し落ち着いた。
唯一安心できる存在で、猫と一緒に家出をしたこともあった。
猫を抱きかかえ、アパートの屋上に続く鍵の閉まった扉の前で過ごした夜。
気づいたら眠っていて、抱っこしてたはずの猫がいなくなり必死になって探した記憶。
心細さと同時に、「この子がいてくれるから大丈夫」と必死に思い込んでいた。
不安定な家の中で、その小さな命だけが心の拠り所だった。
母への気持ちがなくなった瞬間
母への嫌悪感を抱くようになったのは、その男と別れた後だった。
私は母に「もう男はいいから、二人で生活していけばいい」と言った。
けれど母は「どうせあんたなんか、いつか嫁に行ってしまって役に立たないのに」と答えた。
その言葉は寂しさから出たものだったのかもしれない。
でも私には本心のように聞こえた。
胸の奥に冷たいものが流れ込んで、「もう母には期待できない」と悟った瞬間だった。
その日を境に、母に対する気持ちは消えていった。
もちろん二人目の男と別れた後も、三人目、四人目の男と暮らしていた。
私からしたら母は「母親」ではなく、ずっと「女」だった。
大切な視点
母の言葉が本心だったのかどうかは分からない。
けれど、あの一言で私が強く傷ついたことは事実だ。
どんな理由があっても、子どもが安心できない環境は健全とは言えない。
あの頃の自分が感じた恐怖や寂しさは、間違っていなかったのだと思う。
同じように悩んでいるあなたへ
もしあなたが「親の言葉や行動で気持ちが消えてしまった経験」を持っていても、それはあなたのせいではありません。
どんな事情があったとしても、子どもが安心できない環境は正しくないのです。
あなたが感じた寂しさや傷つきは、確かに存在した現実です。
どうかその気持ちを否定せずに、少しずつ自分を守る選択をしてあげてください。
あなたの感じたことには価値があり、それを大切にしていいのです。


コメント