母を恨んでいた頃の私
昔の私は、母を強く恨んでいた。
あんな家庭環境じゃなければ、
もっと違う人生があったんじゃないか。
私がこんなにも生きづらいのは、母のせいだ。
そう思わずにはいられなかった。
「普通の家に生まれていたら」
「もっと安心できる親のもとで育っていたら」
過去を振り返るたび、
悔しさや怒りが胸の奥に溜まっていった。
過去を否定された言葉
一度、母に過去への不満をぶつけたことがある。
けれど返ってきたのは、こんな言葉だった。
「あんたは過去のことばっかり言ってくるけど、
過去の環境なんか関係ない。
大事なのは、自分がどう生きてきたかでしょ」
少しでも反省や申し訳なさが感じられたら、
私は救われたのかもしれない。
でも、母は最後まで「母」だった。
自分の非を認めることはなく、
私の苦しさに向き合うこともなかった。
その瞬間、
「分かり合うことはできないんだ」
と、どこかで諦めた。
恨み続けても、何も変わらなかった
長い間、私は母を恨み続けていた。
けれど、年を重ねるにつれて気づいた。
恨みを抱えているのは、
母ではなく、いつも私だった。
過去を思い出すたびに傷つき、
怒りを反芻しては、自分をすり減らしていた。
母は何も変わらない。
変わらない相手を恨み続けることで、
苦しんでいるのは自分だけだった。
恨みを「赦し」に変えなくてもいい
ある時、ふと思った。
「もう、恨み続けなくてもいいのかもしれない」
それは母を赦した、ということではない。
母を正当化したわけでもない。
ただ、
これ以上、母に私の人生を縛らせない
そう決めただけだった。
過去は消えない。
傷ついた事実もなくならない。
でも、いつまでも過去を恨んでいても、過去が変わるわけじゃない。
それなら私は、過去を抱えたまま前に進むことを選びたかった。
過去を抱えたままでも、
今の私は生きていける。
過去も含めて、今の私
あの家庭環境がなければ、
今の私はいなかったのも事実だ。
それを「良かった」とは思えない。
でも、「全部が無意味だった」とも思わなくなった。
過去をひっくるめて、今の私がいる。
そう思えたとき、
恨みは少しずつ形を変えていった。
同じように苦しんでいるあなたへ
もしあなたが、
親への恨みや怒りを手放せずにいるなら、
無理に赦そうとしなくていい。
「許せない」と思う気持ちも、
あなたが必死に生きてきた証拠だから。
大切なのは、
これからの人生を誰のために生きるか。
恨みを手放すことは、
親のためじゃない。
あなた自身を自由にするための選択だ。
過去があっても、
あなたはこれからの人生を選び直せる。
この記事が、
あなたが少しだけ心を軽くするきっかけになれば嬉しいです。

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