支配される子ども時代

家庭環境/毒親編


子どもの頃の私は、いつも母の機嫌を気にしていた。
怒らせないように、嫌われないように。
母の言葉ひとつで、私の一日が決まっていた。

自由を奪われていたあの頃を振り返ると、
“支配”は愛情とは違う形をしていたのだと、今なら分かる。

母の支配

母はいつも私を支配しようとしていた。
「子どもは親の付属物だ」
そう言われたこともある。

小さな選択でさえ自由はなかった。
着る服、遊び方、口にする言葉──すべて母の顔色で決まった。
服も高校を卒業する頃まで母が選んだ服を着ていた。
それに何の疑問も持たなかった。

私が何か自分の意思を告げる。時に反抗すると返ってくる
「好きにすれば?」と突き放される言葉。
表面上は自由を与えるように見えて、胸の奥に広がったのは冷たい不安だった。
その言葉の裏に「勝手にすれば捨てる」という気配を感じていたから。

「母の言葉に逆らう=存在を否定される」と感じていた。
だから、母のルールに従うことが生きるための条件だった。

不機嫌という罰

母は不機嫌という形で私を縛った。
時にヒステリックに暴言を投げつけ、物を投げつけてくることもあった。

固定電話の子機を私に向かって投げ、壊れた時には「お前のせいで壊れた」と責められた。
耳をふさいでも怒鳴り声は突き刺さり、謝っても怒りは止まらなかった。

「無視される」
「口をきいてもらえない」
「冷たい視線が突き刺さる」

その沈黙の時間が、何よりも怖かった。
幼い私は、母の不機嫌を“罰”として受け取り、
いつの間にか「自分が悪い子だから怒られる」と思い込むようになった。

自己肯定感が育たなかった理由

自分を守るために従っていたはずが、いつの間にか“自分を否定する癖”になっていた。

母の支配に従えば、その場をやり過ごすことはできた。
けれどその代償はあまりにも大きかった。

「母の言うとおりにしておけば怒られない」
そう信じ込むうちに、自分の意思を持つことをやめてしまった。

友達と遊ぶ約束をしたい気持ちよりも、「母に嫌われないこと」が優先された。
自分がどうしたいかよりも、母にどう思われるかが基準になり、心から笑うこともなくなっていった。

母に合わせることが「生き残る術」だった。
でもその過程で、自己肯定感は芽を出す前に踏みつぶされていった。

大人になっても残った影響

大人になっても、母の支配の影は消えなかった。

恋愛では、相手の不機嫌に過剰に反応してしまった。
彼が少し黙っただけで「気に障ることをしたのかも」と不安が広がり、
母の冷たい沈黙がフラッシュバックする。

職場でも上司や同僚の顔色を伺う癖が抜けず、自分の意見を言うことが怖かった。
無視されると心臓がざわつき、過去の恐怖がそのまま蘇った。

支配に縛られていた子ども時代は、大人になった私の生き方にも深く影を落としていた。

大人になっても、誰かの沈黙が怖くてたまらなかった。
母の影は、心の奥に染み込むように残っていた。

今だから言えること

大人になった今、振り返ると、あの支配は「愛情」ではなかった。
それでも子どもの私は、母の機嫌にすがるしかなかった。

けれど少しずつ変わってきた。
「従わなくても嫌われない」
「ありのままでも価値がある」
そう思える瞬間が増えてきた。

あの頃の私は、ただ“安心”が欲しかっただけなんだ。

鎖を外すのは簡単じゃない。
でも「気づけたこと」こそが、外へ踏み出す最初の一歩だと思っている。

同じように支配に苦しんだあなたへ

もしあなたも「親の機嫌に支配されてきた」経験を抱えているなら、
それはあなたの弱さではありません。

顔色を伺うしかなかったのは、幼い頃のあなたが必死に生き延びようとした証拠です。
あなたは間違っていません。

そして今は、自分の意思を少しずつ取り戻してもいいんです。
支配に従わなくても、あなたの存在には確かな価値があります。

どうかそのことを忘れないでください。
この記事が、あなたが自分を大切にするきっかけになれば嬉しいです。

今日から少しずつ、自分の“好き”や“安心”を選んでいいんです。

コメント