我慢ばかりしていた幼少期

家庭環境/毒親編


子どもの頃の私は、いつも“我慢”が当たり前だった。
泣きたいのに泣けない。欲しいものも言えない。
そんな日々が続くうちに、「自分の気持ちを出すこと=悪いこと」だと信じてしまっていた。
この記事では、我慢ばかりしていた幼少期を振り返りながら、そこから少しずつ自分を取り戻していった気づきを書いていきます。

泣きたいのに泣けなかった

子どもの頃、本当は泣きたくても泣けなかった。
泣けば「うるさい」「迷惑」と言われるのがわかっていたから。
私の気持ちは受け止めてもらえないのが当たり前だった。

悲しくても、寂しくても、感情を押し殺すしかなかった。
いつしか感情を表に出すのが苦手になってしまった。

子どもにとって「泣く」はSOSのサイン。
でもその声を押し殺すしかなかった私は、安心できる場所を見失っていた。
我慢することが「生き残る方法」だった。

欲しいものを言えなかった

友達が親に「買って」と甘える姿を見て、羨ましかった。
私は欲しいものを言えなかった。

お願いすれば「そんなもの必要ない」と返されるのが怖かったから。
我慢するのが当たり前になり、欲しい気持ち自体を閉じ込めてしまった。

まだ幼い頃、あるクリスマスプレゼント。
私の欲しかった物ではなく、なぜかカメラが用意されていた。
全く興味がなく、がっかりした。
「こんなの嬉しくない」と言ったら、すごく叱られたのを覚えている。
結局私には使いこなせなくてすぐ使わなくなってしまった。

おもちゃはいくつか持っていた。
それが多いのか少ないのかは分からない。
だが、自分が欲しくて買ってもらったおもちゃはほとんどなかった。

欲しいと伝えることが「わがまま」だと思い込んでいた。
その思い込みが、後の「遠慮しすぎる自分」を作っていった。

我慢の積み重ねが残したものへ

我慢することで、確かに「怒られることは減った」。
でもその代わりに、私の中には「自分の気持ちを言ってはいけない」という思い込みが根づいた。
言っても希望が通らない。言えば怒られる。
それなら最初から何も言わずにいたほうが正解なのだと思うようになった。

その思い込みは大人になっても消えず、
人間関係でも恋愛でも「我慢するほうが正しい」と思い込んでしまった。
自分を押し殺してする我慢はとてもしんどかった。

我慢は生き延びるための知恵でもあったけれど、
その代わりに「自分の心の声」を置き去りにしてしまったのかもしれない。

今だから言えること

子どもなのに我慢ばかりしていたあの頃の私に、
「本当は泣いていいし、欲しいと言っていい」と伝えてあげたい。
子どもの頃の私を責めるのではなく、今は「よく頑張ってたね」と言ってあげたい。

あの時、私の気持ちを受け止めてくれる人が周りに一人でもいれば…。
今とは違った結果になっていたはずだろう。

今でも我慢する癖は残っているけれど、
少しずつ「自分の気持ちを出すこと」を練習している。
我慢だけではなく、安心を選べるようになりたい。

同じように悩んでいるあなたへ

もしあなたも「子ども時代に我慢ばかりしてきた」経験を抱えているなら、どうか自分を責めないでください。

泣けなかったのも、欲しいと言えなかったのも、あなたが弱かったからではなく、その時の環境がそうさせただけです。

あなたの気持ちは、泣いていいし、欲しいと伝えてもいい。
本当はもっと子供らしく振舞って良かったのです。

少しずつ自分の想いを大切にできるようになれば、きっと心は軽くなります。

我慢してきたあなたの優しさが、これからは“自分を守る力”に変わっていきますように。

コメント