安心できる場所がない

家庭環境/毒親編


子どもの頃、私には“安心できる場所”がありませんでした。
家にいても、外に出ても、どこかでずっと緊張していた気がします。

誰かに甘えたくても甘えられず、笑っていても心の奥はいつも不安でいっぱいでした。
この記事では、そんな日々を振り返りながら、
少しずつ「安心」という感覚を取り戻していった私の気づきを書いていきます。

母がいない家の中

幼い頃、母はよくパチンコに出かけていた。
気がつくと家にはいなくて、残されるのは私と家の中の静けさだけ。

誰もいないリビング。
秒針の止まった時計みたいに、空気も時間も動かない。
外から聞こえる子どもたちの笑い声が、余計に孤独を際立たせた。

夜になると、静かすぎる家の中で物音一つするだけで不安や恐怖が襲う。
今のように携帯電話もない時代。

「いつ帰ってくるんだろう」と不安に思っても、連絡する手段はなかった。
ひたすらただ帰ってくるのを待つだけの時間。
ただ一人、寂しい部屋でテレビをつけっぱなしにして、人の声で静けさを打ち消そうとしていた。

「どうして私は一人なんだろう」
そう思いながら、ただ時間が過ぎるのを待つしかなかった。


安心できる居場所がなかった

家は「安心する場所」ではなかった。

母がいても機嫌は不安定で、いないときは孤独が押し寄せる。
どちらにしても心が落ち着くことはなかった。

帰ってきた母の足音にホッとするのも束の間。
パチンコで負けた日は不機嫌で、家の空気は一瞬でピリついた。
「今日は大丈夫かな?」と顔色をうかがうのが当たり前になっていた。

我が家は21時までに寝るのが決まりだったので、21時を過ぎて帰ってきた時には寝たふりをした。
起きていると怒られるからだった。
一人で寂しく待っていて寝付けるわけもないのに。

安心して笑うことも、甘えることもできなかった。
「ここにいていい」という感覚を持てずに過ごしていた。


孤独を埋めようとした小さな逃げ場

安心できる場所がなかった私は、本や空想の世界に逃げ込んでいた。
何度も何度も同じ本を読み返した。
登場人物の優しい言葉や、想像の中の温かい風景だけが、私を支えてくれた。

でも本を閉じれば現実に引き戻される。
布団に潜って眠ろうとしても、家が静かすぎて余計に眠れなくなる夜もあった。
時には一緒に寝てほしい夜もあったが拒否されるため言い出せなかった。
孤独は消えず、安心できない日々が続いた。


今だから気づけること

大人になって振り返ると、あの頃の私は「安心」というものを知らなかった。
常に不安と孤独の中で過ごしていたから、自己肯定感が育つはずもなかった。

だから今でも、人が黙り込むと昔の不安が蘇ることがある。
「嫌われたのかな」「置いていかれるのかな」
そんな考えが頭をよぎるのは、あの頃の体験が心に残っているからだ。

けれど今は、ほんの少しずつ「安心できる時間」を自分で作れるようになってきた。
温かい飲み物をゆっくり味わうこと、信頼できる人と話すこと。
それは小さなことだけど、子どもの頃に欲しかった「安心」に近づいているのかもしれない。


同じように孤独を感じてきたあなたへ

もしあなたも「家に安心できなかった」経験を抱えているなら、どうか自分を責めないでください。

安心できる場所がなかったのは、あなたのせいではありません。
安心を知らなかった子ども時代があっても、今から少しずつ作っていくことができます。

温かいお茶を飲むこと、信頼できる人と話すこと。
どんなに小さなことでも、それは確かに「安心」につながっています。

この記事が、あなたの心に小さな灯りをともせたなら嬉しいです。

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