助けてと言えなかった子ども時代
小さい頃から、母は私を守ってくれる存在ではなかった。
そばにいて寄り添ってくれることもほとんどなく、
泣きたいときも、苦しいときも「我慢するのが当たり前」だと刷り込まれていた。
だから私は「助けて」と言えない子どもになった。
誰かに頼っても助けてくれるはずがない、
一人でなんとかしなければいけない──そう思い込んでいた。
泣きたくても涙をこらえ、部屋の隅で声を殺した夜がいくつもある。
どうして泣いているのかよりも「泣き声がうるさい」と言われることを恐れた。
「ここで泣いたらもっと怒られる」
そう考えるのが当たり前になっていった。
人に頼れない大人になって
その癖は、大人になっても抜けなかった。
仕事で困っても「自分でなんとかしなきゃ」
体調が悪くても「寝込むなんて甘えだ」と言い聞かせた。
職場でいじめられて、本当に行きたくない時もあった。
それでも休まずに出勤し、トイレでひとり泣いた。
心も体も悲鳴を上げているのに、
「手伝って」「苦しい」と言葉にできなかった。
素直に「できない」と言える人を、羨ましく思った。
限界まで抱え込み、動けなくなってからようやく気づく。
――本当はずっと、助けが必要だったのだと。
でもその時にはもう、自分を責める声が心を支配していた。
自己肯定感の低さと孤独
「人に頼る=迷惑をかけること」
その思い込みは、自己肯定感の低さと深くつながっていた。
「私には価値がないから、人を煩わせちゃいけない」
「どうせ言っても分かってもらえない」
そうやって自分を小さく小さくしていった。
気づけば、人を信用できず、孤独の中に閉じこもっていた。
少しずつ変わり始めた私
でも最近になって、少しずつ変わってきた。
「頼ってもいい」と思える瞬間が増えてきた。
頼ったからといって、必ずしも見捨てられるわけじゃない。
むしろ、人は支え合って生きているんだと気づき始めた。
今もまだ怖さはある。
でも「弱さを見せることは悪いことじゃない」と思えるようになった。
弱さを見せられる相手が一人いるだけで、孤独は少し和らぐ。
私はようやく、そのことを実感し始めている。
同じように悩んでいるあなたへ
もしあなたも「助けて」と言えずに苦しんできたなら、
それはあなただけの弱さではありません。
小さい頃から身についた思い込みが、心を縛っているだけなんです。
そしてそれは、あなたの責任ではありません。
頼ることは迷惑ではありません。
人は誰かを支えたり、支えられたりしながら生きています。
少しずつで大丈夫。
弱さを見せることは、恥ずかしいことではなく、
あなたの優しさと強さの証でもあります。
どうか「助けて」と言える自分を、少しずつ許してあげてください。
その一歩が、あなたの孤独をやわらげてくれるはずです。


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