人と比べてばかりだった頃
私は昔、自分と向き合わずに周りばかり気にしていた。
自分の環境が恵まれていないと思っていたからこそ、
幸せそうな人を見ると妬ましくて仕方なかった。
どうして私の家はこんな風なんだろう。
お母さんとお父さんがいて、兄弟がいて。
賑やかで楽しそうな家が羨ましかった。
昔、仲良くしていた友達が家に帰りたくなかった私を何も言わずに泊めてくれたことがある。
今考えると仲良くしていた友達の家族がすごく暖かくて、
すごく大切にされているんだなと思ったらすごく羨ましかった。
その子自身も明るくて、周りに好かれる子だった。
私はその子のことが大好きだったが、一緒にいるのがつらくて徐々に距離を置いてしまった。
離れてから、私はその優しさの意味をやっと理解した気がする。
今でも大事な友人ではあるが、あの頃のようにはもう戻れない。
大人になってからも、自分より恵まれている人を見ると羨ましくて仕方なかった。
妬みでは幸せになれないと気づいた
妬んでいても自分が幸せになれないことは、どこかで分かっていた。
妬むほど心は醜くなり、自分のことを嫌いになっていく。
口を開けば恨みつらみ妬みごとばかり──そんな自分から、周りの人も少しずつ離れていった。
だけど自分の気持ちをコントロールできない。
気持ちの整理ができなくて悪循環に陥っていた。
「どうして私ばかり」と思っていたけれど、
その考えが一番、自分を苦しめていた。
離婚後、ようやく心の中の嵐が静まってきた頃、
私は初めて自分を見つめ直した。
ずっと「私だけが不幸のどん底にいる」と思っていたけれど、
本当は、自分がどう人生と向き合うかで見える景色は変わるのかもしれない。
流されるように生きてきた私が、
「これからは自分の人生を生きよう」と思えた。
それが、私にとっての最初の一歩だった。
逃げるための“慰め”にも気づいた
「自分より辛い人はたくさんいる」
そう考えて、自分を納得させていた時期があった。
確かにそれは事実かもしれない。
けれど今思えば、それは“自分の気持ちを見ないための言い訳”だった。
本当は苦しかったのに、「こんなことで弱音を吐いちゃいけない」と押し込めていた。
泣きたくても我慢して、平気なふりをして。
そうやって自分を慰めながら、心の奥ではずっと誰かにわかってほしかったのだと思う。
「私なんて」「どうせ」そんな言葉が口癖になって、
少しずつ、自分の価値を自分で下げていた。
でも今なら分かる。
それは弱さではなく、“生き延びるための心の防衛反応”だった。
あの頃の私は、そうやって必死に自分を守っていた。
等身大の自分で生きる
周りを見て比べても、自分の心は豊かにならない。
誰かの幸せを見て焦るよりも、
“今の自分がどう生きたいか”を大切にする方がずっと心が穏やかになる。
完璧じゃなくていい。
落ち込む日や何もできない日があっても、それも私の一部。
誰かと比べなくても、自分のペースで進んでいけばいい。
子どもたちとくだらない話で笑い合って過ごす何気ない日常。
好きな音楽を聴きながらパソコンに向き合う時間。
そんな何気ない瞬間こそが、今の私の「幸せ」なんだと思う。
苦しくても、辛くても生きていかなくてはいけないのなら、
自分も周りも気持ちよく過ごせる方がいい。
笑う門には福来る。
毎日を楽しむことこそ、
幸せに近づく一番の方法なのかもしれない。
比べるよりも、自分の“今”を楽しむこと。
それが、私にとっての「等身大で生きる」ということ。
同じように悩んでいるあなたへ
嫉妬や恨み、羨ましさや虚しさ──
そんな感情は、誰の中にもある自然な気持ちです。
「こんな風に感じる私はダメだ」と責めなくて大丈夫。
妬みや落ち込みは、あなたが誰かの幸せを感じ取れるほど心が敏感で優しい証拠です。
でも、ずっとその感情の中にいると、自分を見失ってしまうこともあります。
もし今、苦しさでいっぱいなら、無理に前を向こうとしなくていい。
少しだけ呼吸を整えて、
「いまの私もよく頑張ってる」とつぶやいてみてください。
比べることをやめられなくても、
笑顔で過ごせる時間がほんの少し増えるだけで、
あなたの毎日は確実に変わっていきます。
大切なのは、完璧な自分になることじゃなくて、
そのままの自分を少しずつ好きになっていくこと。
今日のあなたも、ちゃんと生きています。
それだけで本当に、すごいことなんです。

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