母の孤独を知った日

家庭環境/毒親編


今回は、少し重い内容になります。
母との関係や、死にまつわる出来事について書いています。
同じように親との関係で悩んできた人に、
「ひとりじゃないよ」と伝えたくて書きました。

子どもを支配する母の背景

母はいつも、自分の思い通りに私が動かないと「好きにすればいい」と言っていた。
でもそれは、本当に好きにしていいという意味ではなかった。
その言葉の裏にはいつも、“コントロール”があった。

洋服を選ぶのも、進路を決めるのも、友達を選ぶのも、母の基準。
「そんな人と関わるのはやめなさい」「あなたには向いていない」「そんなの似合わない」
そう言われるたびに、自分の意思を持つのが怖くなっていった。

母の言葉は絶対で、逆らえば怒鳴られるか、無視される。
私は「母の機嫌を損ねないように生きる」ことが、生き方の基本になっていた。

でも今思うと、母もいつも“誰かの目”を気にしていた。
「恥をかかされたくない」「きちんとした母親に見られたい」
その強いこだわりの中で、母自身も不安と戦っていたのかもしれない。

“母もまた被害者だった”と気づいた瞬間

母の若い頃の話を聞いたことがある。
田舎の姉妹の三人目。下にはすぐ弟が生まれた。
話を聞くだけで、一番かまってもらえず、大切にされにくかった様子が浮かぶ。

祖母は厳しく、何をしても否定されていたという。
「弟の面倒を見てるのに何しても怒られてた」と言っていたけど、
あの言葉の奥には、どこか寂しさがにじんでいた。

母も、きっと「愛されたかった人」だった。
でも、その愛し方を知らなかった。

私は長い間、「母は悪い人だ」と思ってきた。
けれどある日ふと、
母もまた「生きづらさの中で必死に生きていた人」だったのかもしれないと思った。

その瞬間、少しだけ心が軽くなった。
憎しみの奥に、理解が生まれたから。

許すのではなく、境界線を引く

母を理解することと、母を許すことは違う。
「母も辛かったんだ」とわかっても、
過去にされたことが消えるわけではない。

母が事故で亡くなり、今では自然と距離を取らざるを得なくなった。
だけど今は、心を乱されることなく穏やかに暮らせている。
それが、自分を守るために必要な“境界線”なんだと思えるようになった。

おかしな話だが、母を嫌いだったわけじゃない。
だからといって、好きなわけでもない。もう恨みもなくなった。
最近になって、私は母の死を“受け入れきれていなかった”ことに気づいた。

それでも私は、母に“支配されない自分”で生きたい。
それが、私が母から学んだ最後の教えなのかもしれない。

母の死を、まだ受け入れきれていない私

事実としては知っているのに、感情が追いつかない

母が亡くなったことは、頭では理解している。
死亡届や手続き、斎場の匂い、親戚の会話——すべてが「現実だった」ことを示していた。

いきなりの死、事故の取り調べ。
あの日々は慌ただしく過ぎていき、母の死を悲しむ時間なんてなかった。

母が亡くなって半年以上が経つ。
それでも、いまだに実感がない。

時々夢に母が出てくるのも、母のスマホを解約できずに残しているのも、
たぶん“心のどこかにまだ居場所を残している”からだ。
私の中では、時間だけが先に進み、感情だけが立ち尽くしている。

告別式の日の記憶

告別式の日、すごく寒くて雪がちらついていた。
私はあの日を、一生忘れないだろう。

白い息の向こうで、焼香の煙がまっすぐ上に伸びていくのを見つめながら、
「もう二度と会えないんだ」と思っても、どこか実感がなかった。

悲しいというより、“現実感がない”というほうが近かった。
心のどこかで、まだ母に会える気がしていた。

手を合わせながら、私は何を思っていたんだろう。
許せなかったこと、わかり合えなかったこと、
それでも、どこかで“母を理解したかった自分”が確かにいた。

安堵・怒り・罪悪感・哀しみが同居する

母がいなくなってから、心が静かになったと感じる瞬間がある。
一方的に感情をぶつけられることもなくなり、以前に比べて心が安定している。

それは安堵だと思う。支配から解放されたという安堵。
けれど同じ場所に、怒りもある。奪われた時間、言えなかった言葉。

きっと無理だったとは分かっている。
それでも、いつかわかり合える日が来るんじゃないか——
そんな淡い期待を抱いていた。
その機会さえも、もう二度と訪れない。

安堵を感じてしまう自分への罪悪感もある。
そして、やっぱり哀しみもある。

互いに矛盾する感情たちが、私の中で肩を寄せ合って座っている。
どれか一つを選ぶ必要はないのだと、最近やっと思えるようになってきた。

受け入れを急がないという選択

「手放す」「許す」「前を向く」。
どれも美しい言葉だけれど、今の私にはまだ重い。

“母を理解すること”と“母から自由になること”は別の道筋だ。
私はまず、自分の生活を穏やかに保つことを優先する。

境界線を保ちながら、哀しみが自然に形を変えるのを待つ。
受け入れは、宣言ではなく過程だ。

いつか振り返ったとき、
「あの頃より少し楽になってる」と気づけたら、それでいい。

悲しみの形は人それぞれ。
私にとって“受け入れる”とは、母を忘れることではなく、
もう一度、自分の人生を生き直すことなのかもしれない。

同じように悩んでいるあなたへ

「母のことを理解したいけれど、どうしても苦しい」
そんな気持ちを抱えているあなたへ。

親との関係には、“正解”なんてありません。
誰かに「もう手放した方がいい」と言われても、
すぐにできるものではないし、
無理に前を向こうとすると、かえって心が疲れてしまうこともあります。

理解しようとしても、傷つくことがある。
離れようとしても、罪悪感に押しつぶされそうになる。
そのどちらも、間違いじゃない。

あなたがいま抱えている矛盾した気持ち——
「嫌い」「かわいそう」「もう会いたくない」「本当はわかってほしかった」
それらは全部、あなたが一生懸命に生きてきた証拠です。

すぐに答えを出さなくていい。
悲しみを無理に整理しようとしなくていい。
ただ、今日もちゃんと生きている自分を、
少しだけ褒めてあげてください。

理解と許しは、同じではありません。
あなたの心が落ち着ける距離を選ぶことは、
わがままではなく、“自分を守る力”です。

あなたがあなたのままで、少しずつ穏やかに生きられますように。

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