「生むんじゃなかった」と言われた子

家庭環境/毒親編


「生むんじゃなかった」

その言葉を、私は何度も聞いてきました。
幼い心には、まるで世界から拒絶されたように響いた。
この記事では、あの言葉が私に与えた影響と、そこから見つけた小さな希望について書いていきます。

「生むんじゃなかった」と言われた記憶

小さいころ、母に何度も言われた言葉がある。
「生むんじゃなかった」

あの時の声のトーン、冷たい表情、部屋の空気までもが今も頭に焼き付いている。
まるで自分の存在そのものを否定されたようで、体がすくみ、声を出すこともできなかった。

やがて私は、反発するようになった。
「生んでくれなんて頼んでない」
勝手に生み落としておいて「生むんじゃなかった」なんて、あまりにも横暴すぎる。
そう言い返すことでしか、自分を守れなかった。

私が思春期になる頃には生まなければよかったと言うこともなくなった。

若くして私を産んだ母。
未熟すぎて自分のために時間を使えない毎日に苛立ちがあったのだろう。
「あんたが生まれたせいで私の人生がめちゃくちゃだ」
みたいなお決まりの言葉をぶつけられたこともある。
私が大人になってから「あの時は私も若かったから・・・」と言われたこともある。
でもそれは私には関係ないのだ。生むと決めたのは母。育てると決めたのも母なのだから。
私の幼少期は二度と帰ってこないのだ。

大人になった今でも、その言葉は心の奥で何度も響き続けている。

毒親の言葉が与えた影響

その言葉は、私の自己肯定感を根こそぎ奪った。
何をしても、どんなに頑張っても「私はいらない存在なんだ」と思い込むようになった。

勉強で良い点をとっても褒められない。
家の中で少し失敗するだけで、すぐに否定される。
私のせいでなくても母の機嫌が悪ければ、八つ当たりの対象になる。

「どうして生まれてきたんだろう」
そんな疑問を抱えながら過ごす子ども時代は、ただ生きるだけで精一杯だった。

自己肯定感の低さと生きづらさ

その影響は、大人になっても消えなかった。

恋愛では、相手に依存してしまった。
LINEの返信が来ないだけで「嫌われたのではないか」と不安で心が壊れそうになった。
必死に相手に尽くして、嫌われないように振る舞った。

夜中には過食で自分を追い詰めた。
お腹が苦しくなるほど食べても、心の穴は埋まらなかった。
「食べる」という行為でしか不安や孤独を紛らわせなかったのだ。

自己肯定感の低さは、恋愛や人間関係、生活のあらゆる場面に影を落とし、私の生きづらさの根っこになっていた。

今の私が気づいたこと

でも今は、少しずつ気づいている。
母の言葉は、私のせいではなかった。
あの人の未熟さや苦しさが、私に向けられただけだったのだ。

「生むんじゃなかった」と言われても、私はここに生きている。
そして私を必要としてくれる人も確かに存在する。

昔の私は、その事実に気づけなかった。
「私はいらない」と思い込むあまり、差し伸べられた手さえ見えなかった。

けれど今は違う。
私は必要とされている。
私の存在を喜んでくれる人がいる。
そのことが、私の存在価値を確かに証明している。

同じように悩んでいるあなたへ

もしあなたも「生まれてこなければよかった」と思うような言葉を受け取ってしまったなら、伝えたいことがある。

その言葉は、あなたの責任ではない。
親の未熟さや抱えていた苦しさが、たまたまあなたにぶつけられただけ。

「あなたは生きているだけで価値がある」
「あなたが感じた悲しみや寂しさは、全部ほんものの気持ち」

私は長い間それに気づけなかったけれど、今は少しずつ受け入れられるようになってきた。
だから、あなたもどうか自分を責めすぎないでほしい。

あなたの存在は間違いなく大切で、必要とされている。
そのことを忘れないでいてほしい。


あなたはかけがえのない存在なのだから。

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