揺れる記憶と自己否定

揺れる記憶

時々、本当に母が変だったのか実は自分が変なのかが分からなくなる。

実は私の受け取り方がひねくれていて、母は普通だったのではないか──そんな疑いが胸をよぎることがある。

「普通の家庭ではなかった」という確信はある。

けれど「そこまでおかしくなるほど変な家庭環境だったのか」と問われると、自信がなくなるのだ。

自分を責める癖

毒親のもとで育った人が共通して抱えるのは、「悪いのは自分」だと思い込んでしまう癖

子どもは親を否定できない。自分のすべてが親なのだ。

だから「親が変なのかも」と感じるより先に、「私がダメだから怒られるんだ」「私が受け取り方を間違えているんだ」と、自分に原因を押し付けてしまう。

その積み重ねが、大人になっても自己否定を呼び起こす。

感情は真実

けれど大切なのは、感じたことはすべて真実だということ。

「寂しかった」「怖かった」「大事にされなかった」

その気持ちは、母がどうだったかに関係なく、間違いなく私が体験した現実だ。

母の言動が「普通」かどうかではなく、子どもの自分がどう感じたか。

そこに嘘はない。

揺れながら進む

母を「変だった」と言い切ることにも、まだ迷いがある。

でもその迷いも含めて、今の私のリアルだと思う。

揺れるたびに「感じたことに間違いはない」と自分に言い聞かせる。

その繰り返しの中で、少しずつ自己否定の鎖を外していきたい。

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