人に頼れない

自己肯定感編


子どもの頃から、「助けて」と言えなかった。
本当は苦しいのに、誰にも頼れずに一人で抱え込む癖がついていた。
この記事では、「人に頼れない私」が少しずつ変わっていった過程を綴ります。

助けてと言えなかった子ども時代

小さい頃から、私にはすぐに頼れる場所がなかった。
母は私に興味がなく、泣きたいときも苦しいときも「我慢するのが当たり前」だった。
すべて自分でどうにかするしかなかった。

夜、布団の中で「助けて」と心の中で叫んでも、声にはならなかった。
もし泣いてしまったら「うるさい」と叱られるかもしれない。
涙が枕を濡らしても、私は息を殺して泣くしかなかった。

「助けて」と口にしても、返ってくるのは無視か冷たい言葉。
そのうち、「どうせ頼っても意味がない」と諦めるようになった。
そして気づけば、助けを求めること自体をやめていた。

人に頼れない大人になって

その癖は、大人になっても抜けなかった。
誰にも弱音は吐けず、何も気にしてないフリをするようになった。

仕事で困っても、体調が悪くても、
「自分でなんとかしなきゃ」と言い聞かせてしまう。

本当は苦しいのに、誰にも言えない。
誰かに話せば少しは楽になると分かっていても、口が重くて動かない。
誰のことも信用できなくて、相談したら変に思われるのではないか?
「悩んでいる自分がおかしいのかもしれない」と思ってしまい、誰にも相談できなかった。

職場で体調が限界に近づいても、笑顔で「大丈夫です」と言い張ったことがある。
誰にも助けを求められなかった自分を責めて、さらに孤独を深めていた。

結果として、一人で抱え込み、できない自分をさらに責めていた。
「やっぱり私はダメなんだ」と、自分に烙印を押すように。

自己肯定感の低さと孤独

「人に頼る=迷惑をかけること」
その思い込みは、私の自己肯定感の低さと直結していた。

自分には価値がない。
だから人に甘えてはいけない。
そう考えることで、自分の存在を小さく押し込めていた。

けれど、人に頼れないことは、逆に孤独を深めていった。
やっぱり私は一人なんだ。そんな考えを抱えて悪循環に陥っていく。
人と一緒にいても「迷惑をかけてはいけない」と緊張して、心が休まらなかった。

少しずつ変わり始めた私

最近になって、少しずつ「頼ってもいい」と思える瞬間が増えてきた。

友人に「今日はしんどい」と正直に伝えたら、思っていたよりも優しい言葉が返ってきた。
頼ったからといって、見捨てられるわけではなかった。

むしろ、人は支え合って生きているのだと気づき始めた。
相手の言葉や態度に守られる体験は、これまでの「頼ったら迷惑」という思い込みを少しずつ溶かしてくれた。

今もまだ怖さはある。
けれど「弱さを見せることは悪いことじゃない」と思えるようになってきた。
それは小さな変化だけれど、私にとっては大きな一歩だ。

同じように悩んでいるあなたへ

もしあなたも「助けてと言えないまま」大人になってしまったと感じているなら、どうか自分を責めないでください。

頼れなかったのは弱さではなく、そうせざるを得なかった環境があったからです。
その選択は、あの頃のあなたが生き抜くために必要だった方法なのです。

今からでも遅くありません。
小さな一言でも、誰かに頼ることはできます。

焦らなくても大丈夫です。
「この人になら弱さを見せてもいい」と思える相手は、必ずどこかにいます。

あなたの声には価値があります。
安心できる場所で、少しずつその声を出してみてください。

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