支配と恋愛依存

家庭環境/毒親編


子どもの頃、母の機嫌を損ねないように生きてきた。
その癖は、大人になって恋愛をするようになっても消えなかった。
この記事では、母の支配と恋愛依存のつながり、そして少しずつ抜け出していくまでの心の変化を書いていきます。

支配されることに慣れていた子ども時代

母の機嫌を損ねないように、私はいつも言われた通りに行動していた。
少しでも反抗すれば、突き放され、無視され、冷たい沈黙という罰が待っていた。

怒鳴られるよりも、不機嫌で黙られることの方が怖かった。
家の中の空気がピリッと張り詰める。時計の音や冷蔵庫のモーター音だけが響いて、息をするのさえためらった。

「また嫌われたらどうしよう」
幼い私は、常に不安で胸がいっぱいだった。謝っても無視が続くと、声を出す勇気さえなくなり、存在自体を否定されたように感じた。

そのうち私は「支配されること」に慣れてしまった。
自分で選ぶよりも、誰かの機嫌を損ねないように行動する方が安心だと思うようになった。

恋愛で繰り返したこと

大人になって恋愛をしたときも、その癖は消えなかった。

相手が求めることに合わせすぎてしまう。
「嫌われたら終わりだ」という恐怖が、頭から離れなかった。

相手が不機嫌になると、母の姿が重なって見えた。
過去の感覚がフラッシュバックして、心臓がぎゅっと締めつけられる。
不機嫌な相手といるとおどおどしてしまう。

嫌われないために尽くす。
でも尽くせば尽くすほど雑に扱われ、さらに離れないようにまた尽くす。
負のループに絡め取られていった。

気づけば、恋愛は「安心」ではなく「依存」に変わっていた。一人になるのが怖かった。

依存の裏にあるもの

恋愛依存の根っこにあるのは、子どもの頃に植え付けられた不安だった。

「愛されるためには我慢しなければならない」
「相手の言うことを聞かないと捨てられる」

母の支配に従っていた日々が、私にそんな思い込みを深く刻みつけていた。
その思い込みがある限り、恋愛は自由や安心ではなく、常に「試される場所」になってしまった。

今だから気づけること

支配と依存は、鎖の両端のようにつながっていた。
母の支配からは逃れたつもりでも、別の形で人に縛られていた。

けれど今は少しずつ変わってきた。
「従わなくても嫌われない」
「ありのままでも価値がある」

そう思える瞬間が増えてきた。

たとえば、相手が不機嫌でも「私が悪いからじゃない」と思えるようになった。
小さなことかもしれないけれど、私にとっては大きな進歩だ。

鎖を外すのは簡単じゃない。
でも「気づけたこと」こそが、外へ踏み出す最初の一歩だと思っている。

同じように支配と依存に苦しんでいるあなたへ

もしあなたも「親の支配」に苦しみ、その延長で恋愛でも依存してしまった経験があるなら、どうか自分を責めないでください。

それはあなたが弱いからではなく、子どもの頃に「嫌われたら生きられない」と思い込まざるを得なかっただけなんです。

その思い込みは強くても、少しずつ変えていけます。
従わなくても、我慢しなくても、あなたの価値は変わりません。

この記事が、あなたが自分を大切にする勇気につながれば嬉しいです。

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